2021年02月05日 16:46

シン・電波おやじの記憶

カテゴリ:プレイバック
コンサル事業やセミナー開催など勤務先のPRを兼ねながら、広告制作者として過ごした自分の職業人生を総括する意味もあるかも?そんな思いもあり、在籍当時の上司=会社代表がブーログ活用を始めたのを機にスタートした本ブログ。その勤務先から持ち帰った資料の中で見つけた、20年この方の各時期にこしらえた「電波」モノ(テレビCM、ラジオCM)の、カタチにならなかった原案を連作仕立てで投稿して来ました。すでにご承知かと思いますが、タイトルは劇場版ヱヴァンゲリヲン・シリーズのもじりで、前Q【解説編】は先週末の地デジ放送前に何とか間に合いました(汗)。
このシリーズの目的は、制作に至る経緯や前後の事情を語りながら各案の意図をざっくり解説する一方、それぞれの時期に私が置かれた環境等についても言及しようと言うもので。最終的には昨年に定年退職を迎え、終点となった地元の広告会社に入社するまでのプロセスと振返りでもありましたが、ようやくその勤務先へと至る最終章です。

前項までにお伝えしたように、かつての先輩とお互いフリーランスとして合同の事務所を開業した訳ですが、結論から言えば私は3年で離脱。広告界に道を転じてから勤務先をいくつも変えながら通い続けた名古屋を初めて離れ、地元に帰って先の勤務先にサラリーマンとして再就職しました。
2人で始めた事務所は、あらかじめクライアント・ソースのアタリが付いていた事もあって、半年ほど経った頃から売上げ・収益とも安定し、その後もまずまず堅実に推移。取り分も経費を差し引いた上で予め取り決めた比率にて2人で分け合い、私の例で言えばボーナス分を勘案しても(長らく在籍した代理店では夏・冬ともに約2ヶ月分ずつ)税込み年収でサラリーマン時代の2割増くらいは稼ぐことが出来ました。お互いの家計安定化にも考慮し、一定額以上稼げた時は凹んだ月の補填のため口座に備蓄するほどの余裕も。

ホームリサーチA上ただ、私の担当するメインの柱=人材派遣業のL社とグループ各社の事業は、派遣関連の法律が改正されて以降かつてのような勢いでの急成長は見られず。丁度それと時期を重ねるように、打合せや決裁のあり方も以前ほどスムーズには運ばなくなりました。
当初は総帥からの特命発注であり、ホームリサーチA下打合せもハウスの女性社長が立ち会うもののカタチだけで、提案は私がじかに説明してその場で即決~以降は校正を含めて実質的にNOチェックのままスピーディに進行したものです。ところが組織が大きくなるに従って、広告・販促業務もそれぞれ担当部署が設けられ、担当者経由で進行するようシフトが移行した事。また一方で、売上の鈍化や法規制の強化から、それぞれの案件決定に慎重を期すようになった事。つまり検討にも決定にも時間を要し、それに伴って以前は殆ど見られなかった再考や修正の要請も受けるなど、私たちの作業効率も悪くなったのですが・・・まぁ早い話が、2年ほどで世間並みのパターンに近づいた訳ですね(笑)。

一方、相棒は引き続き、以前在籍した代理店時代に担当していたブライダル関係の仕事を中心に(状況を見ては代理店通しでなく、ちゃっかり直接取引に切り替えw)まずまず順調に推移。また私が担当するL社の総帥ルートで受注する外部企業の仕事や、後には新規に立ち上げられたNPO法人からレギュラー的な仕事受注もあり、可能な限り自らの手でデザイン作業をこなして手が空く時間は余りなかったはずです。

ホームリサーチB上そもそも相棒は私が先輩としてと出会った代理店時代からアート・ディレクター職にあり、先のハウス立ち上げに参画してからは役員でもあった訳で。また私も代理店に転職して2年間の契約社員時代はコピー・ディレクターとして、その後はいわゆるクリエイティブ・ディレクターとして制作セクションを取りまとめ、さ
ホームリサーチB下らに先輩のハウスに誘われる前3年間は営業職として勤務。お互い20代のプロダクション時代から以降は、それぞれデザインやコピーライティング実務から離れて久しかった訳です。
それで、事務所開業以降はそれぞれが受注営業を兼務しながら私は構成プランニングとコピーライティング、相棒は同じく営業とビジュアル・プランニング、そしてデザインをこなした訳ですが・・・実作業の面では、相棒の方が負担が大きいのは職能の違いから明白。まぁその分、私が事務所雑務の一切と経理業務を担当し、稼ぎの分配も作業負担を勘案した比率としました。

私が相棒とのコンビを解消したのは、私が先の勤務先の代表から入社の誘いを受けたからですが・・・その経緯まで詳細に語り始めると、またぞろ脱線を含めてw文字数を浪費するのは必至ゆえ(爆)ざっと流しますと。
その頃、高校時代からの友人が主宰するデザイン事務所で初代のアシスタントを務めたデザイナー君が、名古屋の医薬品企業C社が新規に設立したハウスで(その後解散して今は存在せず)ナンバー2職に就いていて。JAGDA=(社)日本グラフィックデザイナー協会のルートで新規事業として、都道府県ごとに発行する書店売り月刊住宅誌=その実、エリア内の工務店紹介のPR雑誌(一見ペイド・パブ的な編集記事型)の出版事業を手掛け始め、ついては西三河地区でのセールスを手伝ってもらえないかと依頼がありまして。
ホームリサーチC上先のような事情からL社とグループ各社からの仕事の消化スピードがスローダウンし、また待機時間も増えた事から話を聞いて即答で引き受けました。まぁ名目あっての営業でアポ取りは難しくなく自分の経験になるし、地元の中小企業各社の動静を知るコトは、巡りめぐって営業的に有用な情報ストックにもつながるだろ
ホームリサーチC下うし。それに「筋のいい」工務店さんに出会えば、以降は直取引で仕事をもらえるかも?そんな打算も手伝って、でしたがwww

その程度の気持ちだったため、気楽に臨めた半面、成果は・・・ホームタウンほか近隣市を合わせて20社近くを訪問、リピートで通えそうな3、4社はあったものの、即くだんの雑誌掲載への契約成立はゼロでした。で、雑誌の件以外の企画提案でくり返し通った工務店の社長から>広告の仕事が欲しいなら、あんたの地元・安城に広告会社があるから行ってみたら?と紹介され、結果それが後に就職することになる広告会社=前の勤務先だった訳です。
まぁ私も相棒も元は代理店で然るべき経験を積んだ身で。当時はそれぞれクライアント直で仕事をしてたし、今さら気が利かないくせにマージンだけせしめる代理店なんか・・・まして、ローカル?ただでさえ(個人的な経験からw)中小代理店の営業なんてロクな奴がいないのは明らかだし。そんな思いで、その場は>ありがとうございます。〇〇社長のお名前をお借りしてもよろしいですか?なーんて、もっともらしいコトを言いながらも、内心は気乗りしませんでした。
が、その少し後に師走となり、少し前まで販促アドバイザー契約で通っていた隣市の住宅会社へ年末挨拶に訪れる機会があって。あの社長に勧められたんだし、1回は顔出ししないと申し訳ないかなぁ~と、通り道だった前・勤務先に挨拶に訪ねて・・・ここでその時の様子や以降の経緯まで述べ始めると、まさに『広告制作一代~さすらいのアドマン回顧録』なんて体裁になりかねませんw そうでなくとも、この最終章に至って、いよいよ貼付のコンテから遠く離れ初老の爺ぃの昔話の体に陥りつつあるようですし(爆)。

結局は再三に渡るお誘いを受け、1年弱の出向期間を経て50歳にして再就職となる訳ですが(こんなロートルにと、振り返っても感謝の一言に尽きます)・・・取り扱いアイテムの大半が単発の折込みチラシである事、それと共に以前まで携わって来た広告代理店とは組織形態も仕事の進め方もずいぶん異なる事に戸惑いを感じながらも、フリーランスであり続けることに対する自身の迷いと、それ以上に家族が将来に抱く不安も察していて。数か月の検討期間+相棒への配慮から3ヶ月の猶予期間を置いて、3年ぶりにサラリーマン復帰を果たしました。50を数えたばかりの、そう、ちょうど新年も明けた頃の決意表明でしたか。

※これまで通り、いやそれ以上に当時の経緯や自分の想いでかりで文字数を割いてしまいました。画像は新たな職場で唯一、オンエアまで進んだテレビCMの初回コンテ案です。これまでと同じく意図と解説は続編にてご説明いたします。


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