2020年08月16日 17:30

3分への道のり。

カテゴリ:昔のハナシ
「超」がつくほど長寿となるキューピーマヨネーズの広告をめぐって、前項からの続きです。間を空けずにしたためるつもりが…盆休み前、打合せ等で急きょ出勤になったり社内会議だったりで、成り行き的に先週の火曜から休み入り。ですが盆関連で最小限の時間を割かれ、やれやれ~と思った頃には、連日この殺人的な猛暑。オフィスと違って暑いわが家の室内でPCに向かうのは…と、はい。言い訳です(大汗)
さて。先の投稿では、何だか私がライトの秋山晶さんにぞっこんのように感じられる、内容と筆致と受け取られたかも知れませんが…誤解です!いや、半分だけ正解となりますか? 以下、本題から少し脱線しそうですが、周辺の事情もお伝えした方が先の展開にも何かとご理解がスムーズかと…と言った建前を掲げてw しばしお付き合いを。いやはや、3分クッキングに達するまで、長い前置きだこと(笑)

今からン十数年前、20代半ばの私が広告業界に転向した頃、世は折しもコピーライターブームでした。中でもアート&カルチャー路線のパルコと共に、いわゆる生活提案の急先鋒である西武百貨店のキャンペーン「不思議大好き。」「おいしい生活。」で日本中=広く商圏外まで耳目を集めた糸井重里氏、片やサントリーをはじめメディア総動員で展開する多くのキャンペーンで活躍した仲畑貴志氏など。いま振り返ると、広告表現に限りない可能性を感じさせる(錯覚させる?w)勢いと、広告クリエーターの社会的な地位確立に道を拓く活躍ぶりでした。
キューピー⑤広告をビジネスとしてではなく、かつて大学進学の際についえた道=アート関連の一端に携われるのでは?と、やりたいこと優先で、前後の見境なく転職を決めた私ですが。それまで自分が広告界と縁があるなどと考えたことはなく、きっかけは趣味関連でとあるコピーライターの方と(その時は一時休職中)知り合ったことから。さすがにその頃まで遡ると脇道が迷い道まで逸れそうなので(笑)この辺りに留めるとして。

とにかくコピーライターブームの当時。関連する本もたくさん書店に並び、果てはバブル初期に「月刊コピーライターズ」なんて言う雑誌の発行まで。勉強の一環と安月給から小遣いをはたいて買っては、今日も残業だ!今夜も泊まりだ!週末は休日出勤だ!と限られたプライベートタイムの合間に読み耽ったものでした。
キューピー⑥そんな当時、私は糸井さんより強引なまでの筆力を持つ中畑さんに憧れましたが。やがて、プロダクションでライターとしてキャリアを積むに従って、小気味よいウィットや情緒的な機微をまぶす職人的な巧さを持つ岩崎俊一さんに惹かれるようになりました。それで、秋山さんはどうかと言えば…何だかすかして、ちょっとねぇ~なんて、以上、当時の若造の呟きでした(汗)

しかし業界で私より少し上の世代、とりわけデザイナー諸氏には、CD秋山さんがAD細谷さんと組んで完成させたライト・パブリシティの「ライト調」と言われるデザインの信奉者は実に多く。そのクリエイティブの底流にあるのは、DDBが嚆矢となったかつてのアメリカ広告界で最先端の作法であり、現在の広告制作の原点となる❝ノン・グラフィック❞と呼ばれるスタイル。秋山氏はこの手法をいち早く日本に持ち込んだ一人で、業界にてある年代以上でこの事実を知らないプロはもぐりでしょう。
キューピー⑦話はさらに逸れますが…私が30歳を境に紹介で入社した代理店の名古屋支社で、制作の先輩はデザイナー出身の2人。私と年齢差はそれぞれ2歳と1歳、一つずつ違いの3人全員がプロダクション上がりの雑草派だったのでwさほど緊張感もなく馴染み、私は2年間の契約社員のあいだはコピーディレクターとして見習い的に勤務。
ちなみに2歳離れたチーフ格はそれから15年後、当時は独立して設立した小さな代理店で取締役を務めていて、営業職に転向させられ腐っていた私は入社に誘われてホイホイ転職。どっこい!内情は火の車で、その2年後、先輩と2人コンビを組んで(それぞれ自営の立場にて)合同で事務所を構え、3年間だけフリーランスを経験した次第です。

その先輩がやはり若い頃「ライト調」に心酔した1人で。私が入社した当時、住宅関連で数社マンションのSPだけはレギュラー的に扱っていて、サブ的にアシストをしていましたが…そのチラシ制作にマス広告的な手法を取っていたのです。
秋山さん③いつも写真重視の表現案で、先輩はわざわざ雑誌「コマーシャルフォト」=通称コマフォトで調べては、注目のカメラマン的な紹介記事から気になる東京の方をピックアップして交渉。こだわらなければ名古屋のカメラマンで、ブツ撮りならせいぜい10~20万、仮にモデルを起用しても中級モデル+ヘアメイク+スタイリストで合わせてプラス20~25万でまかなえるのに…事前打合せで東京日帰り、本番は泊まりで(営業抜き)本人と私2人で立会いで、外注原価だけで前者パターンのかれこれ倍額以上。そこに私たちの交通費や宿泊代、人件費まで勘案すれば優に3倍以上は費したでしょう。
後に私が、SPなのにどうしてそこまで?と訊ねると、いわく>そうでもしないと当時の勤務環境では、然るべき費用をかけたマス的な発想の表現(メインビジュアル、キャッチコピー)に取り組む機会に恵まれないからと。まぁシンプルに言ってしまえば、大半が本人の趣味と制作としての欲求を満たすため?尤も当時はそれが許される経済情勢だったし、クライアント筋にも評価されて競合を排除できていたから結果オーライ!だったのでしょう。

秋山さん②さて、本来はキューピーの広告と秋山さん、ライト・パブリシティにまつわるエピソードを中心に綴るつもりが、単なる回顧談に落ちてしまいました。くだんの代理店に転向する前、D通の影武者的プロダクションに勤務していた頃、コピー部門のチーフから>残念ながら名古屋ローカルでは、マス広告だけではオマンマが食べられない。だからライターも流通と不動産(住宅メーカーだろうと販売系だろうと分譲だろうが当時は区別も出来ないまま十把一絡げに)それぞれSP寄りだけど1件ずつは担当してもらうから、と。
そんな時代の懐かし恥ずかしの実例や、後に自分自身で久々コピーを書かざるを得なくなったフリー期=本稿では語れなかった秋山さん流を見倣って制作した企業広告(なんちゃってブランディングw)もご紹介しがてら、回を飛ばそうが完結をもくろみたく。まぁ古いスクラップを取り出して複写もあるし…もう少し涼しくなってから、と願います(焦)
では、まだまだ暑い明日から、お仕事再開のアドマンでした。

休み明け




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